HAOカップの始まり

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“もっとバレーしたい”

——その一言が、

HAOカップの始まりだった。

埼玉のある体育館で、 一人の方が、 寂しそうな顔で言ったの。

「コロナからもう2年経っても、 大会が全然 復活してくれないんですよ」って。

その顔を見たとき、 私の中で何かが動いたんだよね。

バレーボールをずっと追いかけ、20年以上

私がバレーボールに出会ったのは、 小学生のとき。

中学・高校・専門と、 6人制バレーに没頭して、

全国の舞台で勝つ喜びも、 悔しさも、 ぜんぶ味わってきたの。

現役を引退したあとも、 バレーは 私から離れてくれなくて。

しばらくは6人制の女子チームと、 混合バレーで遊んでて、

ずっとコートには 立ち続けてたんだよね。

転機が来たのは、 社会人2年目のとき。

9人制の一般チームに 誘ってもらって、

初めて9人制の世界に 足を踏み入れた。

最初は 「6人制とは違うバレーだな」 くらいの感覚だったんだけど、

やっていくうちに、 9人制バレーの奥深さと楽しさに、 どんどん引き込まれていったんだよね。

ボールの繋ぎ方も、 ポジションの使い方も、 戦術の組み立ても、

6人制とはまったく違う 頭の使い方をする。

コートに立つ人数が多いぶん、 一人ひとりの呼吸を 合わせる難しさと、

合った瞬間の喜びがあって。

しばらくは6人制と9人制を 掛け持ちでやってたんだけど、

気づいたら私、 9人制1本に絞ってた。

全国優勝を経験した6人制から、 新たな境地・9人制を 選び直した。

それは、 降りる選択じゃなくて、 もっと深いところに 行きたいっていう選択だったの。

HAOと出会って、バレーから一度離れた

社会人になってしばらくして、 私の人生に 大きな出会いがあって——

それが、今関わってる 株式会社HAOと、 箱根の蔵樹なんだよね。

仕事内容がガラッと変わって、 新しい世界を覚えるのに必死で。

正直、最初の頃は バレーをする時間が ぜんぜん取れなくなっちゃったの。

気づいたら、 半年から1年くらい、 コートから離れてた。

でもね、 不思議なもので。

バレーから離れてみて初めて、 自分の中でバレーが どれだけ大きな存在だったか に気づいたんだよね。

ある日ふと思ったの。

ずっとやってきたバレーで、 HAOの広報活動が できたらいいな」って。

自分が一番長く愛してきたものと、 今全力で関わってる仕事を、 繋げられたら。

それってきっと、 私にしかできない形に なるはずだから。

あの体育館で、私の中の何かが動いた

そんなことを考え始めた頃、 世の中ではちょうど コロナが広がっていて。

体育館が使えない。 試合ができない。 バレー人口がどんどん減っていく。

——みんな、 バレーがしたくても、 できない時期だった。

そんなときにね、 ママさんバレーをやってる 方たちから、

ぽつりぽつりと 悩みを聞かせてもらうようになったの。

「もっとバレーがしたいのに」 「練習場所がない」 「大会が全然なくて、 モチベーション保つのが難しい」

そして、忘れられない場面がある。

埼玉のある体育館で、 私がご挨拶に伺ったとき。

あるチームの方が、 寂しそうな、 ちょっと困ったような顔で、 こう言ったの。

「コロナからもう2年経つのに、 大会が全然 復活してくれないんですよ」

私はそのとき、 ちょうど自分の中で 考え始めてたこと——

「これからどんどん バレーの大会を していきたいんです」って話を、

その方にしてみた。

そしたらね。

その方、 ぱっと顔が明るくなって。

めちゃめちゃいいですね! すぐうちのチームのキャプテンに 伝えます!

って、すごく喜んでくれたんだよね。

——その瞬間、 私は確信した。

満足にバレーができてない人たちが、 たくさんいる。

ただ「大会がある」っていう 当たり前のことを、 みんなが待ってる。

だったら、私がやろう。 私が、大会を主催しよう。

これが、 HAOカップの始まりなんだよね。

なぜ、ママさんバレーを選んだのか

HAOカップを立ち上げるって 決めたとき、

最初に悩んだのが 「どの種目でやるか」だった。

バレーって、 6人制、 9人制の一般、 9人制のママさん——

いろんな種類があるの。

私自身、6人制も9人制も やってきたから、

どれを選ぶか 正直迷ったんだよね。

でも、答えはすぐ出た。

私に悩みを話してくれたのは、 ママさんバレーの方たちだったから。

困ってる人の顔が見えてる場所から、 始めよう。

そう決めて、 ママさんバレー9人制を 主軸にすることにしたの。

チームを回って、チラシを渡した日々

そこからが、 本当のスタートだった。

知り合いのチームの練習に顔を出して、 「HAOカップやります」って チラシを渡して。

SNSで繋がった ママさんバレーの方のチームに、 遊びに行かせてもらって、

そこでチラシを配って。

一人ひとり、 一チームずつ。

顔を合わせて、 話を聞いて、 また次のチームへ。

地道だったけど、 その時間が 今のHAOカップを作ってる 土台になってる。

そうやって 少しずつ少しずつ広がっていって、

2025年—— 所沢市民体育館っていう、 4面取れる大きなアリーナで 主催できるまでになったんだよね。

最初にあの体育館で 「大会がないんですよ」って 寂しそうに言ってた方の顔を、

私は今でも忘れない。

あの一言から、 ここまで来た。

人が、自分らしく勝てる場所をつくる

このブログのキャッチコピーは、 「人が、自分らしく 勝てる場所をつくる。」

実はこれ、 頭で考えて作った言葉じゃないの。

あの体育館で、 寂しそうな顔をしていた方が、

私の話を聞いて 顔を明るくしてくれたあの瞬間——

あそこから、ぜんぶ始まってる。

バレーがしたいのに、 できない人がいる。

チームに居場所がなくて、 悩んでる人がいる。

頑張ってるのに、 輝ける舞台がない人がいる。

そういう人たちが、 もう一度コートに立てる場所。

自分らしく、 自分のままで、 勝ちにいける場所。

そういう場所を、 私は作っていきたい。

それが、HAOカップであり、 バレー動物占い相談室であり、

これからもずっと続いていく 私の物語なんだよね🐘

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